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より多くの人とつながる英語 〜私にとっての英語〜

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んなに素晴らしいことは人に伝えなければ...

そう思って、セミナーやコーチングをやろうとしても、なぜだか人が集まらない。

「私がこんなにすごいと思っていることなのに、なぜ?」

「私の伝え方が悪いの?」

 

正直なところ、ずっとモヤモヤが続いていました。

そして、この間、ある人と話をしていた時に、ふと、腑に落ちたことがありました。

 

「××と随分前からのお知合いですか?」

「いいえ、う〜ん、ここ2年ぐらいだと思います」

「そうなんですね。いえ、僕自身は英語は全くダメなんですが、舟生さんの英語がとてもきれいなので...」

「えっ、あっ、ありがとうございます」

「どちらかに住んでいらっしゃったんですか?」

「いえいえ、日本です...」

 

その時、私の中で何かがつながった気がしました。

私が師としている方が開業したい人向けに書かれていたブログの中で、「自分がこれは重要なんだと思っていることより、普通にしている、できていることのほうがすごいことの場合が多い」という主旨のことを書かれていましたが、その言葉がすっと入り込んだ瞬間でした。

 

英語に特化して、日本と海外との調整役を仕事にして早20年。

それでも、私にとっての英語は、未だに一生懸命努力をして、なんとか使っているという感じのものです。

ですが、現場で会う多くの人たちからは、「昔から語学のセンスが高くて、日本語と同じように英語を話しているんだろうな」といった錯覚を持たれることが多いのです。(それは私のハーフのような外見も影響しているんだろうなと思いますが...)

でも、正直なところ、私にとっての英語は谷あり、谷あり、なのです。

重い足を持ちあげ、登っても登っても、頂上は遥か彼方に遠く...

自分でもよくぞ辞めないなと思うことがあります。

ですが、昔の人はよくぞ言ったものです。

「下手こそものの上手なれ」

ここまでくると、下手でもなんでも英語をやっていてよかったなと感謝するばかりです。

 

何を隠そう、私の語学センスは、それほどいい訳ではありません。

これは自分を卑下するわけではなく、客観的に見た時に、スポーツが得意な子とそうでない子がわかるように、語学センスがあるか、ないかといえば、ない方です。

子供の頃の自分を振り返ると、姉妹げんかの際、一番先に手が出るのは私でした。

言語能力が低いため言いたいを言葉にすることができず、その出口を失った思いが募って、手が出ていたのです。そして、手を挙げた私がポロポロ悔し涙を流していました。自分の思いを上手く言葉にできない自分が悔しくて悔しくてたまらなかったからです。

 

そんな私でしたが、なぜだか英語にはあこがれを持っていました。

3つ上の姉から英語の授業の話を聞いては、早く私も中学に行って英語を勉強したいなといつも思っていました。

そして、中学に入って実際に英語を習うようになってからは、その魅力に取りつかれました。

 

でも、ここでも悔しいのは、語学力の無さ。

同じ中学校から英語を習い始めたにも関わらず、英語がグングン上手くなって先生から褒められる子と、私のように好きなんだけれど、一向に英語が上手くならない子との距離はあっという間に広がります。

凹みの連続です。英語のテストは見るも無残。ペンパルクラブに入るも、手紙を出す前の添削は見事に真っ赤か。今考えると直す方も大変だっただろうなと思いますが、あの頃は、いつも心の中で泣いてました。

 

更に仕事で英語を使うようになった時も、自分よりも英語ができる人たちがいる中で、私が大勢の前で通訳をさせられるなど、泣きたくなるシーンはいくつもありました。

このように今に至るまでを振り返ってみても、どれ1つ、英語で楽しい思い出はないのに、なぜ、ここまでやってこれたのか、本当に不思議です。

ただ、面白いことに、毎回、そのようなことがあった後に私の英語を褒めてくれる人が現れるのです。

 

スポーツ関係の仕事で国際連合の会長との会談の時に通訳に入らせてもらいましたが、その際、会談の終了時に「君は今まで日本から来た通訳の中で、一番、きちんと通訳をしてくれましたね」と声をかけられました。

あの時のことを思い出すと、今も身体中、嬉しさがこみ上げてきます。

何しろ、ちょうど自分の英語に限界を感じ、辞めようと思っていた頃だったからです。

 

そのあとも、イベントの現場で通訳に入った際に、現場の方から「いろいろな通訳さんがいるけれど、舟生さんの通訳は僕たちの辛さを一番、相手に伝えてくれました。本当にありがとう」と言われるなど、英語を続ける元気をもらいました。

その他にも「舟生さんの英語は俺たちにも分かる英語だから、ホント、いいねぇ」など、若干、褒められているのかわからないコメントをもらったこともありますが、それでも一緒にいる人が安心できる英語を話してる自分にちょっと自信を付けたりしていました。

 

それ以降、いろいろなことはあるものの、なんだかんだと英語に携わり続けてきたからこそ、いろいろな人たちと出会うことができてきたのだと思っています。

そして、そこで思うのは、私は通訳ではなく、コミュニケーターであるということです。

目の前にいる人たちが思っていることを限りなくその人たちが思っている通りに理解し、それを他の人たちに伝える。時には行間も通訳する。私がやっていることはそういうことだと思っています。

 

また、このような視点に立った時に気が付いたのは、相手に英語が通じないのは、こちらの英語力の問題ではなく、相手の使う言葉のベースや文化背景が違っているということが関与していることもあるということです。

であれば、いち早く相手がわかる言葉の使い方、言い回しをしてあげればいいのです。

 

これが典型的に出るのが、アメリカ人とアジアの人たちが話しているときです。

お互いに意思疎通できたのかしら?というシーンに出くわすことがあります。

それを考えると、現在における英語は以前に比べ同じ単語でも使われている地域と文化が異なると、異なる意味合いを持ち合わせる可能性があるということを念頭に入れておかないと、相手が言っている真の意味をきちんと理解できない場合があるということです。

 

ところで、話は変わりますが、自分でいうのも変ですが、私の英語はかなり平易です。

正直、難しい単語はあまり知らないので、自分の知っている限りの英語を駆使して(多分、日常使用している英単語は大学受験で使用する程度です)、相手に通じるストーリーで英語を話すようにしています。

中には英語の文法が成立していないときもあります。

でも、その言い方が、目の前の相手にとってわかりやすいのであれば、私は英語の文法ではなく、そちらを優先します。

だからこそ、逆にきちんとした英語を身に着けておきたいといつも思っています。

英語には丁寧語はないという都市伝説(英語にも丁寧語はきちんと存在しています)を真に受けず、きちんとした英語(これは現在、提携とされている英語のルールと発音を意味しています)を勉強することは身を救います。

長続きし、応用が利くということです。

それはきちんとしたフォームを知らずに、我流でスポーツをやった場合、あっという間に身体に支障をきたすのと似ています。

またフォーマルを着こなせない人がカジュアルウェアを着た時にどこかだらしなく見えるのと同じです。(格好よく見えないのです)

 

私自身、型にはめられるのは嫌いです。

ただ、正しい型を知り、身につけておくことの大切さは、今になって痛感しています。

そういう意味では、両親に感謝しています。

 

私は子供の頃、かなりのやんちゃだったので、しゃべり方もあまりきれいではありませんでした。

それを口うるさく注意してくれたのは母でした。

「言葉を放っぽって話さない!」

「言葉の最後は、きちんと自分で止める」

私の話し方が荒れるたびに口酸っぱく注意してくれました。

 

その結果、これは面白いことかもしれないですが、インド大使館に勤める方から「あなたの英語はきれいですね。また日本語の話し方が美しいですね」と褒めていただきました。

インドの人に日本語と英語を褒められてもと思うかもしれませんが、逆に自国語ではないため、相手の話し方には敏感なのです。

私自身、そのことを意識して話していたわけではないのですが、その方から頂いた言葉は今も勲章のように残っていますし、自分の日本語が乱れていないかなどを意識するためのいいトリガーとなっています。

 

と、かなり話が横道にそれましたが、私自身、自分の英語力に関しては、まだまだと思っていました。

 

ところが、なぜだか、シーン、シーンで「きれいな英語ですね」と言われてきたことに気が付いたのです。

日々心がけてきたこと。そして、私が普通だと思っていたこと。

そして、その普通にやっていることこそ、周りから見ると普通ではなかったりすることを。

 

本当ですね。

もちろん、どんなに頑張ってもネイティブにはなれないけれど、日本人の両親の下に生まれ、日本で育ち、日本で仕事をしていても、ちゃんとした発音の仕方を学び、日々、訓練することで、きれいな英語を話すことができるようになるんだということを身をもって証明したような気がします。

もちろん、これから先もブラッシュアップです。

 

ただ、今、もし、この日本の社会で英語が好きなのに、思うように上手くならないことで英語に挫折している人がいるならば、私から言えることは、決してあきらめないでくださいということです。

きちんとした口の筋肉の使い方を身に着ければ、英語の発音はあっという間に上手くなります。

そして、それができると、そのサイド・エフェクトとして英語も聞こえるようになるのです。

 

そうなったら後は英語を話すだけです。

そう、ゆっくりと大きな声で。

大きな声でというところがミソです。

 

一度、自分の英語をきちんと見直したいという人は、遠慮なくご連絡ください。

ネイティブにはなれないけれど、それ以上に多くの異なる国々の人たちとコミュニケーションを取ることができるきれいな英語を話すことができるように誰でもなれると確信しています。

そうなりたい方は是非。

皆でグローバルな人間になりましょう!


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