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日本語の感覚がなぜ危険なのか。

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会社でミーティングを終えた時、結局、何が決まったのかよくわからなかったことってありませんか?

そして、ミーティングルームを出た後に、同じミーティングに出ていた同僚を捕まえて、「あのさ、あれってさぁ、こういうことだよね...」という風に聞いたこと、ありませんか?

 2時間、3時間と話し、ミーティング中はわかったつもりでいたはずなのに、ミーティングを終えて部屋を出た瞬間、「あれ、結局、今回の打合せで何か決まったんだっけ???」と腑に落ちない感覚を持つことは日本のビジネスシーンにおいてよくあることです。

これは、実に日本語がもたらす効果だと私は感じています。

「物事を曖昧に話すことができる言語」である日本語だからこそ、実際は何も決まっていないことでも、その場においては何かが決まったかのような錯覚に陥るのです。

 

そして、問題は、そのミーティングの内容を、さて、海外の取引先に連絡しようとして、担当者はハタと手が止まるのです。

返事をしなければならない案件に関して答えようとしたときに、日本語の感覚のすべてを明確に言葉に表さないけど、よろしくね的な文章を書こうとしても、英語的には成立しないのです。

Itを使って書けばという人もいますが、いずれにしろ、文章自体が肯定文か否定文しかないので(もちろん仮定文はありますが、仮定文も肯定か否定のいずれかになります)、どちらかに物事を振り分けて書き始めなければならないのです。

その時に初めて担当者は困るのです。

さっきの打合せの内容はOKだったのか、それとも否定的な話だったのか。

 

日本語から英語に変換する作業をしたことのない人は、日本語のように書いておけばいいというのですが、日本語のように否定でも肯定でもない、玉虫色の文章というのは、英語の構造上、上記でも書きましたが、ないので、書きようがないのです。

(まぁ、英語でもそういう表現の仕方は、小説などの世界で、文章を途中で終わらせるという形を取られている場合がありますが、ビジネスシーンで文章を途中で辞めていたら、単なる文章の間違えとみなされるだけです。「文章が途中で終わっているけど」という突っ込みが来るだけです)

もちろん、非常に英語に堪能な人がこの辺りのニュアンスを微妙な表現で書かれているケースはありますが、それを読んだ際、他の国、特に欧米の人達は、「後は皆さんの想像にお任せします」ということであれば、「では、僕たちが理解する方向で動かすか」ということで、彼らの意思のままに物事が動かされていくことになります。

 

そういう事態に陥って日本人ははじめて、それは違うだとかと反論をし始めますが、時は遅しです。

物事は最初のとっかかりが非常に大事です。途中からひっくり返すことは、始めの一歩と比べた場合、容易ではありません。(結婚は簡単だけれど、離婚は大変だというのと同じです)

 

 

日本人にとって、白黒を明確にすることは精神的にヘビーなことなのですが、やはりグローバル化しているビジネスの社会において、それを行わないことは、会社自身がおかしくなるリスク要因にもなるので、そこはきちんとグローバルにおけるビジネススキルは身につけておかないといけないかと思います。

でないと、取り返しのつかない損失を生んでしまうかもしれません。

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