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2014年8月アーカイブ

アメリカ的言い方? -彼女も好きだけれど、彼女といる時の自分も好き―

webmaster ( 2014年8月31日 15:14 ) | コメント(0) | トラックバック(0)

この前、先日亡くなったRobert Williamsが出ている海外ドラマの中で、Robert Williams扮する広告代理店の社長が、娘に付き合っている女性のことをどう思っているかということを伝えるシーンで、「彼女も好きだけれど、彼女といる時の自分も好き」という言葉を聞いた時に、「あっ、とっても英語的ないい方だなぁ」、自分という存在の立ち位置が日本とは根本的に違うんだなぁと感じました。

 

自分はどうだろ?

相手に好意をもってもらうことに力を注ぎ、その注いだことに対しての反応に一喜一憂する...

もちろん、日本にこういう感覚を持った人がゼロというわけではないけれど、考えさせられた瞬間でした。

 

さぁ、皆さんはいかがですか?

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英語脳は、ゴールありきから始まる?!

webmaster ( 2014年8月28日 15:52 ) | コメント(0) | トラックバック(0)

これも先日の「日本語脳をいかに英語のロジック脳に変換するか」で出た話なのですが、究極な言い方をすると、日本語は最終ゴール地点を明確に決めないで、話しながら着地点を見つけていく言語。

英語は話すためのゴールありきで、その設定したゴールに対して、それをゲットするための論拠/根拠をきちんと組み立てていく、というか、子供のころからそれを訓練させられている(論拠、根拠が甘いと、両親に穴をつつかれて、結局、自分のやりたいことをやれないから、子供は必死になって、なんとか親を納得させるための話し方を理屈を考えるわけですね)というのが、英語をベースにした国々によくみられる傾向です。

 

状況説明では、親は納得しないのです。

だから、最初に自分が何をしたいのかを主張するのです。

ゴールありきです。

そこから先はいかに親よりも優れたロジックを展開できるかです。

 

とここまで書いてきて、気が付きませんか?

日本語の場合、やりたいことはありますが、まず、周りの空気を読みます。(まぁ、顔色を読むと言ってもいいかもしれません)

で、状況説明から始めます。

途中、顔色と空気感を読みながら、これは分が悪いぞとわかるとゴールとは異なるところに持っていく。

実はこれが日本語の持っている長所でもあり、短所でもあるというところです。

英語圏で生まれ育った人からすれば、A地点に向かう!と話されていたはずなのに、いつまでたってもA地点に向かわない話をされても困るというところです。

結果、何を話したかったんだろうと。

 

ただ、やはり既に黒船は日本国内に上陸しているのです。

グローバル化はすでに国内で始まっているのです。

対外国の人と早急にコミュニケーションを持たなければならないということです。

であれば、多勢に無勢(日本の人口は約1.2億人。海外の人たちは64億人。勝ち目なしです)、器用な日本人がカメレオンのごとく対応するべきです。

 

ただ、いずれにしろ、日本の人は、話す前に何について話すべきかということを、一瞬のうちに捕まえて話し出す訓練はした方がいいですね。

まずはそれがグローバル対応の一歩のように思います。

 

【関連文献】

世界の非ネイティブエリートがやっている英語勉強法 斉藤 淳著

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苫米地式 超光速コミュニケーション術 一瞬で伝わる・動かす・ともに幸せになる 苫米地 英人著

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It's a shame! あなたはどう反応する?

webmaster ( 2014年8月24日 17:33 ) | コメント(0) | トラックバック(0)

もし、もう何度も仕事をしている海外のチームから、ある時、「It's a shame!」と言われたら、あなたならどう思いますか?

 

正直、私はかなりショックでした。

「えっ、だって、私、この期間、他からのオファーがあって、受けられるかどうかわからないって言っていたと思うけど...」と思いつつも、代わりに入ってもらえるスタッフを探して、連絡し、そのプロジェクトはなんとか終えました。

でも、私の中のもやもやは消えないまま、他の仕事の中でその気持ちは心のどこかに置き忘れられていました。

 

それから約3か月後、連絡が来たのですが、問い合わせのあった日程が完全に他の案件と重なっていて、ごめんなさいをしました。

そうしたところ、また「It's a shame!」という返信がまた来たのです。

私としては、「えっ、いくらなんでも、私、彼女たちにそこまで言われるほど仕事もらっていないし、なんで?!」と、かなり悲しくなり、それでも受けないわけにはいかないので、前回、代わりに入ってもらったスタッフのスケジュールを確認し、「ごめんなさい、私が入れないから、前回のスタッフが入るので、よろしくお願いします」という返信をしました。

それでも、とても悲しい気持ちは報われませんでした。

そこで、私の中では神様のようなバイリンガルの先輩に連絡をとって、「It's a shame!」ってどんな意味なんですか?と聞いてみました。

 

で、帰ってきた返事が、想像できますか?

「ちょっと残念!」っていう感じ。

「えっ、えっ、えっ?!」

「大丈夫です」と言われました。

 

そ~なの?! えっ、だったら、ネガティブな気持ちを引きずった私の時間を返して~!

と思いつつも、このモードに入るには、それから1か月強かかりました。

でも、やはり語学って体感の部分があるんだなぁと実感しました。

 

で、この時、思い出したのが、ある企業に行った時にある部署の人たちが「I am disappointed.」と言われ、かなりショックを受けたと言っていたことです。

あの時に、「あぁ、それって、残念って伝えたいだけのは話ですよ」と言えていたら、きっとあの会社との関係性の展開は変わっていたのかなと思ったり。

 

でも、やはり語学の世界は深いですね。

 

【関連文献】

その英語、ネイティブはカチンときます デイビッド・セイン著

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その英語、ネイティブにはこう聞こえます デイビッド・セイン著

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その英語、ネイティブは笑っています デイビッド・セイン著

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起承転結はロジカル?

webmaster ( 2014年8月22日 17:59 ) | コメント(0) | トラックバック(0)

日本の教育現場で正しい文章の書き方として小学校の時から教えられる「起承転結」ですが、前回のセミナーの参加者の方より、社会に出たら「起承転結ではなく、起結、で、必要であれば、その後に承転を加えるように」と指導されたという話を聞き、ふと、そう言われてみれば、私も学校で、作文をする時に先生や親から口酸っぱく、「文章は起承転結で書きなさい」と言われ、それが普通だと思っていたことに気付き、いいチャンスだから、ここで「起承転結」について、調べてみてもいいかなと思い、調べてみたところ、びっくりしたのが、「起承転結は、元々は美しい漢詩を作るための構成要素として考えられた」ということ。

「えっ、文章をわかりやすく人に伝えるためのものじゃないの? だって、そう教わってきたよ。起承転結に従って書くと、人にわかりやすく美しい文章になるって...(- -;;」

本当にそうなんです。

ただ、漢詩で採用されていた修辞法(レトリック)が、その後、漢詩以外にも転用されることになり、結果、文章を書くために必要な文章構成の方法となったようです。

 

「起承転結」を細かく見てみると...

 

起: 事実や出来事を述べる

承: 「起」で述べたことに関することを述べる。解説したり、それによって起こる問題点を述べたり、感想、意見を述べたりする。

転: 「起承」とは関係のない別の事柄を持ち出す。

結: 全体を関連付けて締めくくる。

 

これらのことを踏まえて、下記、Wikipediaからの引用です。

*********************************************

日本語学が専門で高崎経済大学助教授 (当時。後に教授) の高松正毅は、起承転結について、「こと説得を目的とする文章を作成するにあたっては極めて不適切で、ほとんど使いものにならない」と主張しており、「『起承転結』では、文章は書けない」と述べている。「起」「承」「転」「結」のそれぞれの機能の定義が明確でなく、各部分に含まれるべき文が曖昧であることを、高松は問題視する

高松はまた、起承転結が真に問題であるのは、それが「役に立たない」からではなく、思考に大きな影響を与えるためであるとする。すなわち、文章の論旨とは無関係のように見えることを「転」で突然言い出したり、論旨を「結」に書くために、可能な限り後のほうに記述しようとしたり、文章の構成として絶対に認められない思考様式を定着させると、高松は主張している

日本語教育が専門で千葉大学准教授 (当時) の佐藤尚子らは、論理的な文章は論理の一貫性が必要であり、「転」の部分が論理の一貫性に反すると批判している。言語文化学会東北支部長 (当時) で論文指導者の横尾清志もまた、「転」の部分が論理的な展開から逸脱している点が論理的でないとする。横尾は、起承転結は文学的な文章展開であり、論理性や客観的視点が無いため、論証や議論には適さないとしている。「たとえ中学生の作文指導であったとしても、起承転結などで書くことを意識させてはなりません」と横尾は述べている。

ベイン・アンド・カンパニーの日本支社長を務めた経営コンサルタントの後正武は、起承転結は修辞の技法 (レトリック) であり、論理的な正しさとは関係が無く、むしろ修辞に影響されることにより論理的思考の障害になるとしている。

*********************************************

さて、英語においても19世紀のイギリスで使用されていた英語を基本に教え続けている日本。

日本語においてもそうだったの?とびっくり。

時代は21世紀。

やはり時代に適したロジックを身体の中に入れることは大切。

可能であれば、日本とは異なる文化圏で切磋琢磨された(国から派遣された人たちは正直、日本人社会で生きているので、ここから除外されます)人たちに、生き抜くための話し方、物事の考え方を教わりたいですね。

 

<関連文献>

人を動かす[超]書き方トレーニング 劇的な成果が手に入る驚異の作文術 苫米地英人著

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 ②ディベートで超論理思考を手に入れる 超人脳のつくり方・増補版 DVD付 苫米地英人著

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ホメオスタシスの逆襲

webmaster ( 2014年8月15日 19:41 ) | コメント(0) | トラックバック(0)
余りにもホメオスタシスの逆襲が大きかったので、忘れないうちに書いておこうかと。

ここ最近、本当にこれでもかといろいろなことが起きているのですが、その中でとても貴重な経験をしているのが、ホメオスタシスの逆襲です。
(ホメオスタシスとは、生体が外的および内的環境の変化を受けても、生理状態などを常に一定範囲内に調整し、恒常性を保つことを言います)
 
これがそうなのかと、驚くとともに、これって、なぁ〜んだ、早く言えば、ガンにかかったおじいちゃんが、お医者さんと話をして、「わかりました、手術をします」と言って一度は決断したんだけれど、段々、手術の日が近づいてきたら、不安になって、最後のとどめに、孫から、「おじいちゃん、手術なんて、しない方がいいよ。治るって限らないんでしょ」と言われて、「そうだよね」って、手術を取りやめるのと同じじゃないってことに気が付きました。

手術を準備していたスタッフとしては、「何、それ⁉︎」ですが、これがホメオスタシスの逆襲です。

人における選択肢の1つと言えばそうですが、それに巻き込まれる真面目に物事を進めようと思っていた人間にとっては、本当に痛いですよね。
 
でも次回以降、見極めの基準の1つを経験値として学べたかなと思うと、これもプラスの経験なのですが。

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年齢を重ねるごとに語学が学びにくくなる理由 -クリティカルエイジとは?-

webmaster ( 2014年8月13日 16:27 ) | コメント(0) | トラックバック(0)

先日、脳はWindowsのOSと同じという話を書いていて、ふと思い出したのが苫米地さんが書いていた「クリティカルエイジ―critical age―」のこと。

これは脳が新たな言語をマスターすることができなくなる年齢のことを指しています。

その年齢とは大体13~17歳ぐらいで、これは人工知能の開発における段階で脳を科学的に調べていく過程でわかってきたことだそうです。

とは言うものの、このクリティカルエイジを超えても、新たな語学をマスターする方法はあります。

その詳しい方法については苫米地英人著の「英語は逆から学べ」(http://amzn.to/1uuUohW)を読んでいただくといいかと思います。

で話を戻すと、このクリティカルエイジのことを思い出した時に、「なぜ、大人になると語学が学びにくくなるのか」を私なりに考えてみようと思い、こういうことなのかなと行き着いたので、ブログに書いておくことにしました。

 

以前のブログで書いたように、現在、脳はコンピュータと同じであると考えられています。

未だに脳と同じことができるコンピュータは出来上がっていませんが、ある程度のレベルで、脳はコンピュータと同じと言えるところまで研究されてきています。

そう考えると、語学とは、この脳というコンピュータにソフトをインストールするようなものです。

脳に新たな言葉をインストールするための領域があれば、インストールできるということです。

最近では行われなくなりましたが、以前は、コンピュータを購入してきた際、使う前にハードディスクのPartitionを行っていました。

これは今後、使用するであろう内容を想定して、その使用内容に合わせてハードの容量を使用内容ごとに分割しておくという作業です。

(この作業は今は出荷時にすでに行われているようになっています)

つまり、子どもの脳というのは、Partitionがなされていないまっさらな状態の脳だと言えます。

その後、脳は生活していく中で、その環境に合わせ、徐々に使用領域を分割していきます。

おそらくこのPartition 作業がほぼ終了するのが13~17歳のころなのではないかと思います。

ですから、この後に新たな語学をインストールしようとすると、脳のハードウエアにそのスペースがないので、なかなか語学をマスターすることができないということになるのではないかというのが私が行き着いたところです。

私個人の経験を話すと、私が交換留学でアメリカに行ったのが17歳の時。

向こうに行った約2週間後のころ、英語を聞き続けることに吐き気を覚えたのを今も覚えています。

今、考えると、なぜそれほど苦しいかったのかというと、おそらく脳の空きスペースがないところに無理やりソフトをインストールしようとして、脳がPartitionの割り振りを急速に変更しなければならなかったからではないかと思います。

(ここで大切だったのは、英語をインストールするための領域を作らなければ、食べていけない、つまりは生命の危機に立たされるということだったように思います。脳は必死だったんですね―笑)

 

本来、脳は安定している状態が好きなので、新しいことが起こることを嫌います。

ということは、脳の活性領域がpartitioningされていない子供のころであれば、環境に合わせて、必要な語学数に合わせて領域を振り分けることに対して、脳があまり抵抗しないということです。

そして、大体、13~17歳ぐらいで、この振り分け作業が終わり、脳の活性領域の割り振りと容量が固定されます。

 

だから、語学は早いうちに勉強した方がいいと言われるのです。

とは言え、大人になってからでは遅すぎるというわけではありません。

高いゴールがあれば、それはいつでも達成できるので大丈夫です。

ですが、その場合でも、最適で最短の達成手法は選ぶべきだとは思いますが。

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OSを載せ替える? 脳はWindowsマシーンと同じ

webmaster ( 2014年8月13日 15:37 ) | コメント(0) | トラックバック(0)

さて、8月6日のセミナーは、人数が少なかったこともあり、セミナーの内容は英語だけにとどまらず、日本で広く提唱されている「起承転結」に始まり(「起承転結」については、改めて書こうと思っています)、脳の機能~情報科学の世界にまで一部入り込んだ、かなり内容の濃いものになりました。

その中で、出てきたのが、実際に日本語脳のロジックを英語ロジックの脳に切り替えるとはどういうことなのかという話です。

結論から言うと、日本語脳を英語脳に切り替えるという作業は、WindowsのOSを日本語OSから英語OSに入れ替えるということと同じ作業です。

というと、入れ替えたところで英語が話せるようになるということ?という疑問が起きますが、そういうわけではありません。

ここで言いたいのは、走っているロジックは同じだということです。

(本当に切り替えて使っているのは、既に英語脳と日本語脳ができている人たちです。彼らは状況に応じて使用する脳を切り替えて使っています。だから、話している言語が異なると人格まで変わるわけです)

 

よくよく考えて見てください。

Windowsの日本語OSは、単に英語のロジックでプログラミングされた英語OSの画面表示部分を日本語に置き換えただけで、ロジックに関しては何も手を加えていません。

裏で走っているロジックは英語なんです。

ところが、日本人の悪い癖は、英語と言った途端に、何か別のものが走っているように思うのです。

でも、それは私たちの思い込みです。

日本語OSは英語のロジック上に日本語を載せただけの話なのです。

どのようにアウトプットするか、されるかがポイントになるだけです。

そして後は慣れです。

「私、知ってる、××を」「あっ、気持ち悪いよね、それ」「私、興味ある、面白いからね」etc.という言い方に言い馴れればいいだけの話です。

 

ちょうど、日本に来日した外国人が日本語を勉強して話し始めたころの順番です。

身近にそういう人がいたら、今度、是非、聞き耳を立てて聞いてみてください。

私たちの脳は無意識のうちに、彼らの話している日本語を、日本語のロジックに置き換えて理解していますが、彼らの話し方は英語のロジックそのままです。

それをパクりましょうということです。それにより、英語が話しやすくなります。

私たち日本人は、多くの英単語を知っていますが、必要とする英単語をオーサリングする時に日本語と同じリサーチの仕方をするので、時間がかかってしまうのです。日本語でも主語の次に述語が来ていれば、英語を話そうとしたときに脳は同じように単語を拾ってきます。日本語で英語のロジック脳を使用するとは、この訓練をしているだけの話なのです。

いずれにしろ、脳というコンピュータに何をインストールするかは、私たち次第です。

たまには自分の脳を意識にあげてみるというのもいいかと思います。

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