IECs

国際イベント、グローバル・コミュニケーション・コーチングのことならアイイーシーエス

ブログ

ブログ

2014年7月アーカイブ

なぜ、今、グローバル化なのか

webmaster ( 2014年7月24日 16:06 ) | コメント(0) | トラックバック(0)

7月17日に4月から行っていた新入社員研修を終えました。

トルコ出張や各種海外からの発注のイベント現場に出たりと、研修資料を作るのに四苦八苦した4か月間でしたが、かなりハリのある時間を過ごしました。

 

 

ただ、その中でとても感じたことは、「なんて、皆、大人しいんだろう」ということです。

日々、海外の人たちとの交流が多い私としては、本当にこれから来る、いえ、既に来ているグローバル化の波に、この子たちはちゃんと乗って生き残ることができるのだろうかと考えざるを得ませんでした。

もちろん、生きていくことはできるかとは思います。

ただ、既に海外から優秀な人材が、政府の意向もあり、大量に入ってきています。

そして、多くの企業が日本人という人材マーケットから優秀で、きちんと働く人材を得ることができない現実に直面し、企業の存続を図るために、海外からの優秀な人材を受け入れ始めています。

現在はまだ企業内の外国人の比率は少ないですが、これはおそらく加速度的に進む、進まざるを得ないでしょう。

その時、企業内に残り、ある程度のポジションを築くためには、隣の机に座っている外国人同僚たちときちんとコミュニケーションを取ることは必須です。

ところがです、そのような状況に置かれたとき、多くの日本人が今のメンタリティでは対応できないことは、現在、世界各国で日本企業が苦戦している状況を見れば簡単に予想できます。

 

チョムスキーが言ったように、その国の言語体系がその国の人々のメンタリティに作用するという研究結果は、日本が海外において苦戦している状況に対する重要なカギを提示しているような危害します。

 

また、日本は長い間、同じ人種で同じ文化背景で過ごしてきた人たちとのみ生活をしてきました。

結果、多くの言語を使わなくても通じるという環境に甘んじてきました。

ところが、21世紀に入り、日本は今までに体験したことのない短い期間において、自分たちの文化背景とは全く異なる多くの人々を受け入れないければならない状況に陥りました。

結果、何が起きたかというと、自分たちが意図したことが意図したように通じないという多くの事実が発生しました。

今、日本人は何が起きているのか、まだきちんと把握できていません。

ただ、この状況を理解することに時間をかけすぎてしまうと、気が付いた時には自分の居場所がなくなってしまっているということになりかねません。

 

では、過去に同じような経験をしてきた国の人々は、どうしているのでしょうか?

彼らは言葉で確認をするのです。

質問を重ね、発言するのです。

だから、彼らは少しでも自分の中に疑問がわいた時には、その場で質問を始めます。

最後まで取っておかないのです。そして、その質問や発言の内容に少しでも自分の考えと異なることがあれば、その場で自分の意見を言い始めます。

そうしないと置いていかれるからです。

 

もちろん、そうでない国もあります。

ただ、その場合は、したたかです。

日本人のメンタリティでは太刀打ちできないものがあります。

それくらい、他の国は他の国とのせめぎあいをしてきているということです。

 

後、5年もすれば日本の労働人口の外国人の人々が占める割合は数倍に膨れ上がっていいるでしょう。

その中で、彼らと人として対等に仕事をしていくスキルとメンタリティを付けることは本当に大切です。

たまには自分のグローバル化具合を確認してみてはいかがでしょうか?

ページトップへ

日本語と英語の言語体系の違いからくるロジックの違い

webmaster ( 2014年7月19日 15:57 ) | コメント(0) | トラックバック(0)

実は多くの日本人で英語使いの人々がコミュニケーションという場において言語体系からくるロジックの違いで、伝えたいことが海外の人々に伝わっていないことが多いのです。

その原因は英語と日本語の言語体系の違いによります。

言語学的英語と日本語を分類すると、英語は「ヘッド・イニシャル」、日本語は「ヘッド・ファイナル」と言われる言語体形に分類されます。

「ヘッド・イニシャル」言語体系とは、結論/主張が最初に来て、その後にその主張の論拠を解説し、最後にその論拠のベースとなるデータ/情報を説明するという体系のことを言います。

それに対し、ヘッド・ファイナルの日本語では、冒頭で状況説明をします。これはヘッド・イニシャルでいうデータ/情報に当たります。

その次にその情報からこういうことが言えるのではないかという論拠を説明し、そして、結論に至ります。ところが、実は、ここが肝なのですが、日本語の場合は、この最終的に導き出される結論を明確に発言せず、相手に依存してしまうというところがあります。

そのため、海外の人は日本人が何を言いたかったのかが明確にわからないことになるわけです。

(話し手はここから導き出される解答は1つしかないと思い話していますが、実は個が異なれば導き出される解答は異なります。しかも異なる文化背景を持っている人々は、予想外の解答を導き出します)

 

上記のようなことが現在、多くの場所で見かけられるのですが、このようになぜ、コミュニケーションが成立しないのかという原因が見えていれば、解決することは可能です。

そのもっとも手っ取り早い方法として、日本語を話す時に、英語のロジックを使用して話してしまうということがあげられます。

以前は、「郷に入れば郷に従え」と言われていましたが、急速なグローバル化の中でビジネスを成立させるためには、器用なほうが不器用な人々に合わせるほうが合理的です。

そして、この英語のロジックを使用して物事を考えるというスキルを身に着けることは、これからのグローバル化した世界を生き抜いていくための力となります。

プラス、とても面白いことに、この英語のロジックで話法を作ることができるようになると、英語運用能力が格段に上がります。

英語が話しやすくなるのです。

 

これは訓練をすれば誰にでもできることです。

英語が話せる、話せないも大切ですが、実はその前に英語の言語体系で会話を構成していくということは語学以前に大切なことなのです。

ページトップへ

遥かトルコの地で考えること

webmaster ( 2014年7月12日 20:23 ) | コメント(0) | トラックバック(0)
今回、3回目のトルコとなる出張を通じて感じるのは、トルコの不思議さです。
前回、アップしたように、トルコの人は非常に頑固であり、面子というものを非常に大切にする人たちです。
また、日本同様、コネの社会なので、新規参入がほとんどあり得ない社会です。(あるとしたら、政府の政権が変わる時に上手く入り込むかです。ただ、それでもその政権と滅びるのが運命だそうですが...)

ちよっと食べ始めちゃったけど、このミートボールラップ、美味しい!

そんな中、日々の時間を街中で過ごすと、彼らは日本人以上にアイコンタクトが通じることを感じます。
また、日本では出会わなくなった気遣いに出会うこともあります。

そして、ちよっと街を外れると、中東特有の空気が流れます。
でも、ふとした瞬間、そういう町の中にコーランが鳴り響き、人は嫌でも自国の宗教を考えざるを得ないことになります。

目だけしか見えず黒ずくめの服を着た女性の隣を短パンランニングで歩いている人がいる。

価値基準があるようでない、でもないようである...
やはりトルコは不思議な国です。




ページトップへ

トルコ人の頑固さ

webmaster ( 2014年7月 7日 18:24 ) | コメント(0) | トラックバック(0)

さて、現在進行形で進んでいるプロジェクトで体験していることは、かなり私にとって新しい感覚をもたらしてくれています。

トルコの人たちの熱くなる感覚は、インドの人たちと非常に似ているのですが、その一方で、どこかつかみどころのないところがあります。

現在、一緒にプロジェクトを推進している人も、彼らとの付き合い方を「ウナギを捕まえようとしている感じで、いつもぬるっと逃げられる感じがする」と表現したら、「まさに僕もそう思います」とうなずいていました。

そういうつかみどころのない人たちである一方で、面白いなぁと思うことは、一度インプットされた情報の書き換えがあまり上手ではないということです。

こんなことを書くとトルコの人たちに怒られてしまいますが、でも、これは本当に共通して感じることです。

「確かに私たちは以前、そう言ったけれど、状況が変わったから、それに合わせて軌道修正をしてほしい」と話をしても、「お前たちは前にこう言っていたから、これはこうあるべきだ!」と頑固として、以前話した内容から変更を受け入れようとしてくれない。

いやいや、このプロジェクトの主はこちらだからと思っても、これはこうあるべき論がしっかりと根付いてしまうのです。

一瞬、この人たちは、日本の頭の硬いおじいちゃんたちか!と思ったぐらいです!(あっ、すみません、また下手なことを言いました... m(_ _)m)

どうやったら、軌道修正してくれるのか、方法論が今のところ見えないのです。

何しろ、「だから人の話を聞いて!」と言っても、自分の話は弾丸のように話し続けるは、その間、人の話は聞かないはという...。

確かに彼らの話は、非常に正しく、しかもロジカルに、すごいスピードで組み立てられていくので、見事としか言いようがないのですが、でも、最初の立ち位置が異なっているから、正しくないんだけれどね~と、困ってしまいます。

「ふぅ~」と思いながら、彼らの話を聞いている最中、思い出したのが、インドで担当したプロジェクトのこと。

そうそう、インドの人もそうだったなぁ...。特に私のカウンターパートナーもこういうタイプだった。日本から電話をかけても、自分の話したいことだけ話して、気分が害してしまうと人が話をしている途中でも電話を切って、その後、何度掛け直しても出てくれなかったけ...

そうか、その経験があるから、この状況、普通でいられるんだとは理解したのですが、問題はその報告。

この内容をプロジェクトの責任者に話す際には、かなり、「はぁ~」と気が重くなりました。

 

さて、この先、約3か月。最終地点まで到達するためには、彼らの頭の中に入った情報をどうやって再インストールするか。

根気は1つのメソッドですが、それだけでは時間というリミットをクリアできない可能性もある。

どうするべきか。

方法論が見つかったところで、またブログにアップしたいと思っています。

ページトップへ

女性と男性

webmaster ( 2014年7月 3日 12:48 ) | コメント(0) | トラックバック(0)

さて、約半年ぶりにようやくブログに手を付けた感じです。

でも、この間、本当にいろんなことがあったなぁという感じです。

大きくは自分の身体に対する考え方が変わったことと、ビジネスが大きく動き始めているということ。

身体系のことはまた別のブログで書くとして、今日はビジネスの大きな動きの中で感じたことを書こうと思ってます。

 

今年のビジネスにおける大きな変化は、私がまた海外に出張に行く機会が増えたということ。

この国に関する細かい話は別にしたいと思っていますが、その中で、とても強く感じたのが「女性と男性の違い」です。

以前から日本の男性(と一括りにすると怒られそうですが)は、結構、頑固というか、一度、インプットされた情報を書き換えるのが下手くそだなぁと思っていました。

女性が上手かというと、それも違うのですが、女性の場合、状況的にこちらのほうが現実的には動くんじゃないかと思った時には、あっさりとこちらの話を聞き入れてもらえるところはあります。

ところが、男性は一度、こうとインプットされ、言葉にしてしまうと、見栄なのか、メンツなのか(あっ、同じことですね...)頑としてこちらの話を聞いてくれないことが多いなと思っていました。

ですが、ですが、国を違えても同じなんだと、つい最近、深く腑に落ちることがありました。

うわぁ~、この国の人たち、一度、インプットされると書き直しが聞かないんだ!と思うことに遭遇。

こちらが主なのに、ど~してこうも、それは違うと言えるんだろうと思うばかりの勢いで、「お前が間違っている!」の強烈なプレッシャーと何が何でも自分の意見を通そうとするこの感じ。

日本でもよく遭遇する、する!と心の中であきれてしまいました。

 

その後、その国の女性と会って、話をしたのですが、彼女も早々、この国の男性は頑固で、一旦、インプットしちゃうと、そうじゃないって理解してもらうのに、すごく苦労するんですよって、笑って話してくれました。(こんなことで、グゥっと来ている私はまだ子供...)

 

全員が全員ではないですが、やはりどの国でも女性のほうが受容性と柔軟性が高いのかなと痛感した瞬間でした。

ページトップへ